イチロー引退のニュースを見てて、「日本で9年、アメリカで19年目に突入したところでした」って話に、「ああ、オリックスにはたった9年しかいなかったのか」と思って感慨深かった。

いや、普通、そこじゃないと思うけど、感慨。

でも私にとってはやっぱり「オリックスのイチロー」だった時代が一番思い出深いし、亡き父がまだ鈴木一朗時代のイチローに西宮球場近くの飲み屋(だったと思うけどもうよく覚えてない)でばったり会って、帽子にサインしてもらった、って話を一番思い出すから。

「鈴木一朗」を「イチロー」として世に送りだした仰木監督のこととか。

父も仰木さんも、そして阪急ブレーブスの名監督だった上田さんも、みんな逝ってしまって、「50歳まで現役」と言っていたイチローもいよいよ一線を退く。

9年+19年、イチローの現役時代はほぼそのまま平成の歴史で、「平成の終わり」の象徴にとどめを刺した感がある。
本人はそういうつもりもないだろうし、父のことや阪神大震災のことを彼と結びつけて思い出すのもこちらの勝手にすぎないけど、そういうふうに「勝手にたくさんの意味をまぶされてしまう」のがスターってものだろう。


思えば「阪急ブレーブス」が身売りされたのも、昭和の終わりだったのだ。

1988年(昭和63年)のシーズン終了後、阪急はオリックスに身売りされた。そしてあくる1989年の1月7日、昭和は幕を閉じた。


そんなのは本当に、イチロー選手自身には関係のないことなのだけれど。
オリックスにいたのだってたった9年なんだから。


今朝のニュースで、「街の人の声」が紹介される時、「かつてオリックスの本拠地があった」神戸は最後に紹介されていた。

「かつて」――過去形。

グリーンスタジアムでイチローを見た記憶のある人はもうみんな20歳以上。オリックスはブルーウェーブではなくなり、神戸は本拠地でなくなり、ネッピーはいなくなった。

西宮球場と違ってグリーンスタジアムはまだあるし(名前は「ほっともっとフィールド神戸」になってる)、オリックスのホームゲームも何試合かは行われるけれど。




色々なものごとが、遠くなっていくな……。


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